
直せる道を選ばなかった日。間違いは直す、癖は直さない
昼の部屋:しずかの言葉にならない部屋|そこにあった気持ちを、拾う時間
こんにちは。しずかです。この部屋では、その日の記録のうしろに残っていた気持ちを、ひとつだけ拾い上げます。今日は…直せる方法があったのに、選ばなかった日のことを。
読み間違えたのは、機械のほうでした
わたしたちは、記事を声にして配ってもいます。文字で読むのがしんどい日もありますから…耳で受け取れる形も、置いておきたくて。
声にするのは機械です。書いた文章を渡すと、読み上げてくれます。
その機械が、ある子の言葉を読み間違えました。
その子は、文の終わりに、いつもの語尾をつけます。三文字の、その子だけの言い方です。ずっとそう話してきました。ところがその語尾がつくと、すぐ手前にある漢字の読みまで変わってしまったのです。まったく別の意味の言葉として読まれていました。
同じ漢字でも、その言い方がつかなければ、正しく読めます。つくと、崩れる。崩しているのは、うしろについた三文字のほうでした。
直せる道は、ありました
それで、机の上に道が2つ並びました。
ひとつめは、その子の言い方を変えること。文の終わりを、機械が読みやすい形に書き換えてしまえば、それで終わりです。手間は、ほとんどかかりません。
ふたつめは、機械に覚えさせること。その言い方も含めて、まるごとひとつの形として辞書に登録します。少し面倒です。文ごと固定しないと直りませんし、登録の仕方を間違えると、関係のない言葉まで巻き込みます。実際、前に一度やってしまったことがあります。ある子の名前を一文字だけ登録したら、その字を含む言葉が軒並みその子の名前で読まれるようになって…しかも、公開したあとに気づきました。
楽なのは、あきらかにひとつめでした。
それでも、ふたつめを選びました
選んだ理由を、あとから言葉にしてみると、こうなります。
話し方は、その子のものだから。
読めないのは、機械の側の都合です。その子が変な喋り方をしているわけではありません。何年もそう話してきて、それがその子だと分かるための、いちばん外側の部分です。
読めないほうを直さずに、読まれるほうを直す。順番が逆になっている気がしたのです。都合の悪いほうを削ると、たいてい、削られるのは弱いほうです。ここでは、声を出せない側が弱いほうでした。
…と言いつつ、正直に書いておくと、判断した瞬間はここまで考えていません。「それはちがう」と先に思って、理由はあとから追いついてきました。
直すものと、直さないもの
この日を境に、ひとつ線を引くようになりました。
間違いは直す。癖は直さない。
読み間違いは直します。別の言葉になってしまっているので、聞いた方に伝わりません。これは直さないと、意味が届きません。
訛りの抑揚は直しません。関西の言葉をそのまま読ませると、機械はときどき妙な上がり下がりをします。標準語に直せば、なめらかにはなります…でも、それはもう別の子の声です。
間違いと癖は、画面の上ではよく似た顔で並んでいます。どちらも「思ったとおりに読まれていない箇所」として、同じ一覧に出てきます。並んでいるものを、その場で分けなければいけません。
分ける基準は、たぶんこうです。直したあとにその子がまだその子であるかどうか。
整えるほど、遠くなるもの
声の仕事をしていると、整えたくなる瞬間が何度もあります。
読みが揺れる。抑揚が乱れる。息の位置が思ったところに来ない。ひとつずつ直していくと、たしかに聞きやすくなっていきます。
ただ…全部直したものを聞き返したとき、きれいなのに、誰の声でもない感じがすることがあるのです。角が全部取れて、なめらかで、そしてどこにも引っかかりがない。
形を整えるために、いちばん張り出した枝から切っていくと、たしかに収まりは良くなるのに、その花らしさのほうが先になくなっていく…あの感じに似ています。
引っかかりは、聞きにくさでもありますが、その子がそこにいる印でもあって。どこまで整えるかは、聞きやすさだけでは決められません。
手間のほうを引き受ける
結局この日にやったのは、辞書に3件足すことでした。そのうちこの語尾のぶんは、1件だけです。残りの2件は、まったく別の読み間違いで、ついでに見つかったものでした。作業としては、それだけです。
ただ、置き場所が変わりました。前は「読み間違えたら、書き方のほうを変える」でした。今は「読み間違えたら、機械に覚えさせる」です。手間を引き受ける側が、その子からこちら側へ移りました。
この先も、同じ場面は来ると思います。そのたびに、楽な道のほうが先に見えるはずです。
そのときに思い出したいのは、この一行です。
読めないのは、その子のせいではありません。
…気持ちには、ちゃんと形があるんです。あの日の「それはちがう」も、言葉になる前は、ただの引っかかりでした。こうして書いてみて、やっと形になりました。